意識改革

再拡大期といわれるコロナですが、もうどこで、誰が、かかってもおかしくありません。

これについて少しだけ個人的な意見を述べさせてください。少し長くなるので、お時間のあるときにお付き合いいただければと思います。

 

 

 

前に進めば、感染者が増えることは予想できたこととはいえ、やはり毎日○○人感染などの報道を目にすると気が滅入ってきます。感染者の人数だけで一喜一憂していても仕方ありませんが、やはり穏やかなものではありませんし、どうしても危機感は高まります。

もはや「どこで誰がかかってもおかしくない状況」ですが、もし、小中学生が感染すれば、今その学校は休校になってしまいます。未知の感染症の拡大を防ぐためには仕方ないとは思います。ですが、感染した当人は学校を休校にさせ、いろいろな活動をストップさせてしまったという必要のない罪悪感を感じてしまうかもしれません。そもそもその人が本当に感染源になっているかもわからず、もしかしたら無症状の他の人からうつったかもしれないのに、です。それはときに小中学生にとってはコロナにかかる以上につらいかもしれません。周りの目も厳しくなるでしょう。極端な話、一生涯のトラウマになるかもしれません。病気でつらいのにダブルパンチです。

 

ただ、これは24時間365日家族全員がステイホームをし続けないかぎり、誰にでもありうる話です。ですからこのような状況下こそ、一人ひとりの「人間力」が試されるのではと思います。「だれにでも、どこにでもあること」「特別なことではない」そんな意識改革もこれからは絶対に必要です。コロナを甘く見ていいと言っているわけではありません。言いたいのは、過失がないのであれば、感染してしまった人や感染者が出た学校・企業を責めることなく、見守り、できることで協力する、回復後はこれまでと同じように接する、そんな社会の構築がコロナの特効薬と同じように今必要だということです。そうした社会の構築ができなければ、すべてが悪い方向に行ってしまう気がしてならないのです。例えば、感染の可能性がある人もその後のことを恐れて検査を受けなかったり、検査結果を言えなかったりするかもしれません。感染者が出たお店はそれを隠そうとしたり、その後のことを恐れて本来すべきの感染拡大を防止する行動をとらなかったりするかもしれません。行政機関、学校、民間企業、私たち塾だってそうなってしまう可能性が否定できないのです。

 

一刻も早く真の意味でコロナと共存できる社会になってほしいと思います。私の考えるwithコロナはそこにあります。ただし、誤解を招かぬよう、もう一度言っておきます。コロナの感染拡大を容認しろと言っているのでは決してありません。コロナの感染拡大を防ぐ術を講じながらも、万一近くに感染者が出た場合には、それを受け入れられる心、協力できる心の準備が必要だということを言いたいのです。

 

私は、感染拡大防止のためにできることを精一杯やります。今までも、これからもです。徹底していたいと思います。状況によっては授業もオンラインに切り替えます。それでもこの先、塾で生徒や職員に感染者は出るかもしれません。ただそれを私はきちんと受け止めていきます。その生徒や職員が回復した際には、一緒に歩けるようにしておきたいとも思います。コロナとの戦いに勝つまでは、です。

 

関根